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ヴァヤシコフの日記

震災から5年

2016/03/11 17:04 くらし

今日であの地震から5年経ちましたね。

あの日、子供達は風邪気味で小学校と幼稚園をお休みして子供部屋で遊んでいました。

軽い揺れが来て

あ、地震?

と思いましたが、すぐに

いつもと違う

と思い、子供達に大声でリビングに移動するよう叫びました。

子供は急に怒鳴られ固まっていましたが、無理矢理引っ張りリビングのテーブルの下に押し込みました。


その直後、揺れが激しくなり

マンションの天井に亀裂が入り、下の子が泣き叫び、それを上の子がぎゅうと抱き締めていました。


私は、硝子の置物や鏡を走り回って床に下ろしてから、2人を抱き締めて

これはもしかしてやばいかも…

と、焦る頭で考えていました。


揺れが収まった頃、チャイムが鳴って出ると、生協の配達員さんが土気色の顔で立っていました。

車が飛び跳ねて、怖かった

との事でした。

無事を喜びあっているとまた余震が来て

配達員さんと子供達と4人で震えながら落ち着くのを待ちました。

奥さんに電話したい

と仰るので、お電話を貸したけれど繋がりませんでした。

そんな中でも、配達員さんは残りの配達をすると言って帰られました。


それから、電気は通っていたのでテーブルの下に3人で潜り込み、夜まで津波の映像を見ていました。

波に攫われる方が映っていて、胸が潰れそうに苦しくて怖かった事を覚えています。


みんな夜になっても全然食欲が無くて、配達されたパンと卵で朝ご飯のような夕食を取りました。


夜になり子供達が寝る頃に、やっと夫と電話が繋がり、職場のある六本木から歩いて帰ると言われてびっくりしました。


そちらに泊まるよう説得しても聞かず、周りにも歩いて帰る人がたくさんいるから大丈夫と言われて、

怖いんだな…と分かり、気を付けて帰るように伝えて電話を切りました。


時々メールで現在地の連絡があり、

だんだん仲間が減ってきたけど頑張るとか、コンビニ寄ったけど何も無いとか、

自転車屋さんが売り切れだとか。

最後は、1人ぼっちになって墓地の前で迷子になったと。

でも、運良く親切なタクシーが通って、幽霊かと驚かれながらも自宅近くまで乗せて頂ける事になったとありました。



6時間半くらいかけて、夜中2時近くに帰って来た時は半分呆れ半分ホッとしました。


軽い食事をしてもらいながら2人でTVを見ていると、映像の中で閃光が走り、

キャスターは送電線が切れたんだろうとコメントしていましたが、

おかしいよね、あれはどう見ても爆発だよね。

と言い合いました。


福島原発事故の瞬間だったんだと、後になって分かりました。


正直、地震の時は、

怪我人多数だろうけど、死者はそんなに出ないよね…と思っていました。

津波の映像を見て初めて、これは大変なことになってしまいつつあるらしいと感じて震えが来ました。


あんなにたくさんの方が亡くなり、行方不明になり、被災されることになるとは…


皆さんもそうだと思いますが、私も一生忘れられません。


1日でも早く、被災した方達が皆さん安心して暮らせる日が来るように願っております。

これからも、少しですが出来る事をやり続けるつもりです。









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